1960-05-03 第34回国会 衆議院 日米安全保障条約等特別委員会 第27号
ところで、一九五七年十二月、中国紅十字会会長李徳全女史一行が二度目の訪日を行ないました。それは、それより前に、八回に分けて二千七百四十四名分の中国人の遺骨の送還が行なわれたことに関して、感謝の意を表するためであったのであります。李徳全女史は、その滞在中、日赤、日中友好協会及び平和連絡会の代表に対して、殉難者の完全な名簿の作成を初めて正式に依頼されました。先ほどお話があった通りであります。
ところで、一九五七年十二月、中国紅十字会会長李徳全女史一行が二度目の訪日を行ないました。それは、それより前に、八回に分けて二千七百四十四名分の中国人の遺骨の送還が行なわれたことに関して、感謝の意を表するためであったのであります。李徳全女史は、その滞在中、日赤、日中友好協会及び平和連絡会の代表に対して、殉難者の完全な名簿の作成を初めて正式に依頼されました。先ほどお話があった通りであります。
敬具 (同時打電) 北京中国紅十字会 会長 李徳全女史 衆議院議員 廣瀬 正雄 日本国民の悲願とも云うべき残留同胞の引揚について常に高い人道的見地から、今日まで積極的に好意あるご取計らいを受け、極めて多数の日本人がそれぞれ無事故国に帰ることができましたことについて、私どもは心から感謝しております。
岸総理にお尋ねいたしたいと思いますが、一つは、中国紅十字会の会長李徳全女史を団長にして、日本に感謝親善の使節団をよこすということについて、すでにこちらから招請を出し、向うは十人の人が三週間の予定で、七月、八月のころに日本に来たいという返事を得ておるわけであります。
引揚げ問題につきまして前からわれわれ一行から要望をしておつたのでありますが、それに応じまして中国紅十字会の会長李徳全女史から、われわれに来てくれろと言われましたのは十月六日でございました。われわれと中国紅十字会の幹部との間の話合いは十時から十二時半まで二時間半に及ぶものでございました。まず杉山元治郎先生がわれわれ一行を代表して簡単なごあいさつをなされました。
大谷委員長は北京において、中国紅十字会会長李徳全女史に慰霊祭執行の趣旨を述べ、当日の参列かたを要請し、実行委員長として一回は面接しておられるはずであります。従つて当実行委員会が慰霊祭を中止したり主催を変更することは、今日においては不可能でございます。状況は次のごとくでございます。
これに対しまして同団長より、中国紅十字会会長李徳全女史は遺骨を送還してくれることを大いに喜んでいる。いつ如何なる方法で送還してくれるかという意味の返電があつたのであります。よつて本小委員会といたしましては、更に政府当局並びに日本赤十字社幹部と協議いたしました結果、一応次の五項目をとりまとめまして、慰霊実行委員会に対しこれが実行方を勧告することに決定いたしたのであります。
中共地区残留同胞の引揚げに関しましては、御承知のごとく日本赤十字社において中国紅十字会会長李徳全女史以下の代表を招請すべく努力いたしておりますが、これは今後の引揚げに対して大きな関係を有しておりまして、本委員会もこれに対して各委員の意見をまとめ前回の委員会において外務当局に要望いたしておいたのであります。
第四に、中共における邦人引揚に連関して、中共紅十字会会長李徳全女史の招待に対する政府の態度は極めて不可解であると存じます。正式に国交回復せざるこの国との交渉において中共紅十字会の果した役割は実に大なるものであつたと私は信じます。
そのときに実は島津社長不在でありますので、私の名前を以つて中国紅十字会会長李徳全女史に宛て手紙を書きまして、その手紙の中にも、実はこの前あなたのほうに聞いてやつてある中国からの今後の引揚の見通しという点は日本が非常に関心を持つておることであり、殊に差迫つて傭船契約の関係があるからして、是非この情報は速やかに知らして頂きたいということを手紙を以つて李徳全に聞いてやつてあるのであります。
昭和二十八年三月三日 参議院中共地域からの帰還者援護に関する特別委員長 大谷瑩潤 中国紅十字総会会長 李 徳全殿 代表団各位の御努力の下に、日本国民の帰国を見ることを感謝す。日本国会参議院は帰国者に対する援護の特別委員会を設けて受入れの万全を期す。今後共御協力を乞う。